「謙虚である」ことの意味を考える(その2)

「起業家たるもの謙虚であれ」という教えは、当サイトでも頻繁に触れ、あらゆる場面で私が訴えているものです。

そしてそれは、単に自信がないだけだったり、見掛け上大変に腰が低いだけだったりといったこととは、全く違うのです。

※参考
→「「謙虚である」ことの意味を考える

起業家の「謙虚」とは、自らの力不足を認めてしまったりして成功に向けたチャンスを逃すようなことは決してせず、何としてもそれを掴み取ろうと努力することによって、周りの信頼を蓄積することに邁進する姿勢なのです。

要するに、すべての事象を自らの価値を高めるチャンスと捉え、真摯にそれと向き合うことなのです。

そしてもう一つ、「謙虚」に含まれる意味として、非常に大事な要素があります。

周りへの感謝を決して忘れないということです。

周りがあっての自分であるということ

起業家に限らずですが、人間、人生においていつ何時でも、周りへの感謝を忘れてはならないとは、よく言われることです。

日々、精一杯の努力を続けながらも、周りへの感謝の気持ちを忘れない。

このことは、特に事業や人生がうまく行っている時ほど、意識して心掛けたいものです。

私は何も、宗教的な話をしたり、カルト的な講釈を垂れたりしたい訳ではありません。

こんな話をあえてするのは、うまく行っていた起業家や経営者が、周りのあらゆるヒト・モノ・コトがあっての自分であるというその事実に気付かず、落ちぶれていく様を何度も見ているからなのです。

人間、うまく回っている時は、心のどこかにどうしても傲りが生まれてしまうものなのかもしれません。

特に起業家であると、変な誇りや自尊心が邪魔することも多く、すべてを自分の力だけで為し得たような錯覚に陥ってしまうことがあるのでしょう。

これは、「謙虚」とは全く逆のスタンスであることに、気付かなくてはなりません。

自分本位である時ほど、自分のことは分かっていない

起業家として経験を積み重ねていく中では、間違いなく壁にぶつかったり、困難に押し潰されそうになったりして、自らの無力を呪うような心境になる時があります。

その時に初めて、周りを意識するようになったという起業家も多いのです。

確かに、起業家とは大変孤独なものです。

それ故、周りなど意識せず、とにかく「自分、自分」と自分本位で突っ走ってしまいがちな起業家の傾向はよく分かります。

※参考
→「起業家は孤独である

しかしながら、そういう人ほど、自分のことが全く分かっていないということも多いのです。

そして、自分の無力さを感じ、拠り所としてきた自らの存在を否定されたような気持ちになった時、初めて周りの存在に気が付くという訳です。

意識して周りを見る、そして感謝する

起業家としてがむしゃらに突っ走っている時こそ、意識して周りを見るようにするべきです。

そうすることで、自分でも見えていなかった、自分自身のことが見えてくることもあるからです。

ちょうど鏡を見て、普段は見えない自分自身の姿を確認するのと同じ感覚です。

「自分、自分」と自分本位で突っ走っているうちは、周り(鏡)を見る余裕もなく、自分の姿すらよく分からないことも多いのです。

また、意識して周りを見られるようになったら、それらに対する感謝の気持ちを決して忘れないことです。

起業家が本当の意味で「謙虚」になるために、そのことが非常に大事な要素の一つだからです。

そして、ひいてはそれが、成功に繋がる大きな大きな道標となるからです。

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