食わず嫌いは、どんどんなくしていくべきです。
いきなり起業やビジネスとは無関係と思われるような書き出しですが、食わず嫌いと言っても、文字通り食べ物に関することではありません。
これまで知らなかったもの、やってこなかったもの、あるいはあえて避けてきたものに対して、決意新たに改めてチャレンジしてみるという気持ちの重要性を申し上げたいのです。
どうしても人は、新しいものや未経験のことに対して、一定の抵抗を感じてしまうものです。
そしてそれは、年齢を重ねるほど顕著になってきます。
これはもう、正直に申しまして私自身の経験からしても、ほぼ間違いのないことです(笑)。
どうやら、脳科学的にも、放っておくと加齢と共に脳のそういった部分が衰えていくということは、証明されていることのようです。
つまり、年齢を重ねれば重ねるほど、新しいことや、未経験の分野に踏み込み、チャレンジするということが、億劫になってしまうのです。
もう一言、ただただ、面倒くさくなる(笑)。
しかしながら、起業という新たなステージに踏み切った方であればなおさら、これは意識して克服していかなければなりません。
ビジネスは、新しいことへのチャレンジと、未知なる創造との、繰り返しでしかないからです。
起業家自らの腰が重くては、事業の成功など、決して成り立たないのです。
そして、食わず嫌いをなくすこと、すなわち新たなチャレンジというものは、ビジネスにおいてだけではなく、プライベートを含む人生のあらゆる局面において、意識して実践するべきなのです。
キラキラと輝く人たち
私の知り合いに、50代前半にして、初めてスノーボードに挑戦したという人がいます。
還暦を過ぎて、フルマラソンにチャレンジするべく、鍛えている人がいます。
サラリーマン時代は頑なに拒否していたゴルフに、定年後、あえて取り組んでいる人がいます。
どの方も、見るからにエネルギーに満ち溢れた、素晴らしい意欲の持ち主です。
一言で言えば、キラキラと輝いているのです。
こういう人は、周りの人間にも間違いなくプラスの影響を与えます。
「一緒にいると元気になる」とか、「プラスのオーラを分けてもらえる」とか、そんなことを言われる素敵な人が、あなたの周りにもいらっしゃいませんでしょうか。
これ、大袈裟なおべっかなどでは決してなく、私は本当のことだと思っています。
私自身、こういう人と一緒にいて、語り合ったり、教えを受けたりしていると、体の奥底で意欲がもりもりと湧いてくる感覚に、見舞われることがあるのです。
ともすれば多くの従業員を率いたり、たくさんの顧客に影響を与えたりすることになる起業家たるもの、こういったキラキラと輝く魅力を持ち合わせた人間になることが、ビジネスにおいても、ひいては人生においても、成功するための大きな要因になるであろうことは、一つ間違いがないでしょう。
体力に限界はあっても、脳に限界はない
当サイトではたびたび俎上に載せさせていただいている、サッカー界のレジェンド、キングカズこと三浦知良さん。
60代(還暦!)が間近に迫っている現在でも、「サッカーがうまくなりたいという意欲」「練習をやりたいという意欲」「試合に出たいという意欲」など、サッカーに関するすべての意欲が、10代の頃と全く変わっていないと言います。
体に良いと思ったことは何でも採り入れ、新しいことにも貪欲にチャレンジする。
それまでカナヅチで全く泳げなかった三浦さんが、新たなトレーニングに水泳を採り入れることを決意し、シドニーオリンピック銅メダリスト・田中雅美さんの指導を仰いだのは、46歳の時でした。
三浦さんは仰っています。
「体力に限界はあっても、脳に限界はない。」
つまり、年齢を重ねることに伴う体の変化や衰えは抗しきれないものではありますが、それに対応し、なお進化していくためには、脳を柔らかく保ち、常に新しいものを採り入れていかなくてはいけない、ということだそうです。
実際に三浦さんは、30歳以上年齢が下のチームメートにすら、謙虚に色々なことを聞いてみたり、自らを評価してもらったりして、常に新たな発見を探しているのです。
そして、良いと思えば、新しいことであろうが未経験のものであろうが、貪欲に採り入れてみるといったことを、未だに実践しているという訳です。
三浦さんに限らず、スポーツ界で常識では考えられないような年齢になっても活躍されているベテランの方というのは、皆同じような側面をお持ちになっているような気がします。
とにかく、挑戦あるのみ
さて、例に挙げたキラキラと輝く人たちや、三浦さんのような人の話を聞いていると、食わず嫌いのまま新たなことにチャレンジ出来ない情けない自分が、いたくちっぽけで恥ずかしく思えてきます。
もう、億劫だなどとは言っていられません。
面倒くさいなどという言葉は絶対禁句です。
起業家たるもの、自らの事業を成功に導くためにも、良いと思ったことは何でも採り入れ、新たなことにも貪欲にチャレンジしてみる。
とにかく、挑戦あるのみです。
自戒を込めて。
※参考 →「成功のためなら何でも信じて採り入れる」
脳の限界や衰えを感じているという方へ
ところで、上で触れたキングカズこと三浦知良さんの、
「体力に限界はあっても、脳に限界はない。」
という言葉を聞いて、いやいや、脳にだって限界はあるし、年齢を重ねるにつれて衰えもするでしょう…といった反論もあろうかと思います。
三浦さんの言う「脳」とは、サッカーに対する意欲や、何でも謙虚に採り入れようとする気持ち、あるいは肉体の衰えを補うための経験…といった意味合いが強いため、確かにストレートに受けとめてしまうと語弊を生むことがあるのかもしれません。
しかしながら、ここからは完全に私見になりますが、一般人(という言い方自体が語弊を生みそうですが)が年齢を理由に、脳の限界や衰えを感じたり、それを公に吐露したりするのは、少々早計であるような気がしてならないのです。
逆に言えば、それが許されるのは、本当に脳を極限まで使い、人間の知能や記憶力の限界ぎりぎりで戦っているような人だけじゃないかと思うのです。
例えば、将棋の世界で空前絶後の強さを発揮し、若い頃から常にトップレベルであり続けている、羽生善治さんのような方です。
常人では考えられないような、数々の天才がひしめく将棋界にあっても、羽生さんの強さは群を抜いており、その存在は1つも2つも上のステージにあると言われています。
ネットの世界では、
「羽生さんはずるい。羽生さん自身と戦わなくていいんだから」
「羽生さんは対戦相手に羽生さんがいないから楽だ」
「天才の中の天才の中の天才」
「化け物であるというほかない」
などと、冗談交じりの言葉で評されているくらいです。
そんな羽生さんも、三十代後半を迎えた時期、読みのスピードや棋譜の記憶について、自らの衰えを口にしたことがあったそうです。
それまで(十代~二十代)にあったようなスピードやキレが発揮出来なくなり、それを経験で補うスタイルに変化していったとか。
それでも未だに上述したような評価を得ているのですから、もはや普通の言葉では言い表せないような、とにかく飛び抜けて凄い人であることに間違いはありません。
そういう方が、脳の限界や衰えを口にするのであれば、それは大いに納得せざるを得ません。
もちろん、「そのレベルになれば、そういうこともあるんだろうな…」といった、推測の域を全く出ないものではありますが…。
一方で、私を含めて(つまりは自戒を込めて)、脳の限界や衰えを感じたり、それを口にしたりしている人は、今一度自分自身に問うてみる必要があるのかもしれません。
果たして自分は、そこまで脳を使っているのだろうか?…ということを。
限界や衰えなどという言葉は、本当に極限の世界で戦っている人だけに、許されたものなのではないか?…ということを。