限界とは、単にその先を知らないだけ

人は誰でも限界を感じる時があります。

起業して事業を進めていても、程度の差こそあれ、「もうこれが限界か…」と感じることは、必ずあると思います。

その最たるものが、起業自体の成否を揺るがすもの、すなわち、自らの起業家生活の限界を感じ、終幕を覚悟するということになるのでしょう。

起業したからにはそれだけは避けたいものですが、ともあれ、その「限界」とは、単にその先の世界を知らないだけに過ぎません。

要するに、「その時点での」限界に過ぎないのです。

100m走の世界記録はどこまで伸びるのか?

例えば、陸上の100m走だって、昔は10秒を切るなんてあり得ないと思われていました。

一時代を築いたカール・ルイスさんを始め、10秒を切る選手が続出した時代を経て、一般に考えられるその限界値もどんどん短縮されましたが、それでもスポーツ科学者たちの間では、9秒50辺りがいよいよ限界と思われてきたのです。

ところがご存知のとおり、ジャマイカのウサイン・ボルトさんが9秒69、そしてその1年後にはさらに記録を短縮して9秒58を叩き出すという快挙を成し遂げました。

この世界記録の連発を目の当たりにした科学者たちの間では、今やさらなる限界値の短縮を前提に、議論が活発化しました。

ボルトさん自身も、9秒40程度までは可能ではないかと述べていたそうです。

つまり…語弊を恐れずに言えば、一般に考えられる限界値なんて、到底アテになるものではないのです。

単に、その先の世界を知らない、すなわち100m走の話で言えば、今の世界記録より速く走る人が存在しないから、勝手に限界ラインを引いているだけなのです。

「いくらそんなことを言っても、100mを8秒で走るのだけは絶対に無理」などということを、誰が言えましょうか。

生物学的に、人間がとてつもなく進化してしまうことだってあり得るのですから…(と、ここまでいくとさすがに、少し論理が飛躍し過ぎている感はありますが(笑))。

サッカーは何歳までプレイ出来るのか?

サッカー界のレジェンドと言われている、あのキングカズこと三浦知良さん。

彼も、自らの限界など設けず、たとえわずかであっても可能性を追求してきたからこそ、2023年現在、56歳にして、改めてポルトガルという海外リーグに挑戦しながら、未だ厳しいプロサッカーの世界で現役を続けられているのです。

よく、限界を突破して…などと評されますが、本人にはそんな感覚など恐らくないでしょう。

勝手に限界と言っているのは周りの人たちであって、それはこれまで、日本のサッカー界において、その年齢までプレイし続けていたプロフェッショナルが存在してこなかっただけの話です。

そういう人を知らなかっただけなのです。

限界を設けることはリスクでもある

さて、いくつかスポーツを例に話をしてまいりましたが、申し上げたいことは一つの考え方であって、100m走はどこまで世界記録が伸びるのか?とか、サッカーは何歳までプレイが可能なのか?といったことを、ここで追求したい訳ではありません(笑)。

要するに、限界という固定観念を持つことは、起業家にとっては、大きなリスクとなることがあるということなのです。

それは、ともすれば視野を狭め、可能性を大いにスポイルしてしまうからです。

「可能性がない」ということは、言い換えれば、単に「可能性を知らないだけ」ということかもしれません。

「ここが限界か…」とか「もはやこれまでか…」などと感じるのは、単にその先が未知の世界であるだけに過ぎないのかもしれません。

その時点では限界と感じたことも、別の視点で考えれば、あるいは単に時を経てみれば、全く限界などではなくなっているかもしれないのです。

そういった楽観的かつ柔軟性を持った考え方で、押し寄せる困難も軽くいなしていきたいものですね。

我々の考える限界を超えてしまった選手たち

突然ですが、フィギュアスケート男子選手である羽生結弦選手を知らない方はいないでしょう。

現在はプロアスリートに転向しましたが、厳しいフィギュアスケートの世界で一時代を築き、全盛期は、国際大会での優勝はもちろん、SP(ショートプログラム)とFS(フリースタイル)の合計スコアで300点超えを連発するなど、もはや向かうところ敵なしの状態でした。

世界中から精鋭が集まるレベルの高い国際大会と言えども、これまでは、概ねSPで90点台、FSで180~190点台、合計で270~290点台を出せば優勝、もしくは上位入賞は間違いなかったのですから、ここに来てそれを大幅に上回る300点台(しかも300点ギリギリではなく、それを優に超えるスコア)を連続で叩き出していた彼は、ただ1人別世界に飛び込んでしまったような感すらありました。

当時の各メディアの論調を見ても、羽生選手の偉業や、彼自身を表現する言葉については、枚挙に暇がありませんでした。

「世界最高」「絶対王者」「空前絶後」「前人未踏」、そして「限界突破」などなど…。

まさに、「限界突破」し、「空前絶後」や「前人未踏」の領域に足を踏み入れ、「世界最高」の「絶対王者」となってしまった彼について、メディアもどう表現してどのように伝えるかを、模索し、言葉を探しながら、いい意味で戸惑っているような雰囲気が大いに伝わってきたものです。

もはやそういった雰囲気自体が、我々の考える限界を超え、未知の世界に身を置いてしまった彼に対する、最大限の賛辞であるとも言えるでしょう。

そして、我々の考えていた限界に対し、決してそれを限界などと考えていなかったのは、他ならぬ彼自身だけだったのかもしれません。

だからこそ…世界中の度肝を抜きつつ、観る者すべての心を奪い、魅了してやまないあの完璧な演技が、生まれてきたのだと考えるのが賢明なのです。

余談ですが、注目すべきはその実力のみならず、凛々しく端正な顔立ちと長身でスマートなスタイル、メディアに対する謙虚な受け答え、フィギュアスケートに対する真摯でひたむきな態度…。

非の打ちどころがないとは、まさしくこのことを言うのでしょう。最近ですと、プロ野球・日本ハムファイターズからメジャーリーグのロサンゼルス・エンゼルスに移籍し、投手と打者という二刀流の大活躍を見せながら、数々の記録を打ち立てている、大谷翔平選手も同様ですね・・・。

羽生さんや大谷さんが女性を中心に大変な人気を博しているのも、必然の結果であるとしか言えません(笑)。

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さて、もう一人、こちらも既に引退してしまいましたが、男子体操の白井健三選手も、一時代を築いたアスリートです。

これまで考えられていた体操というスポーツの限界どころか、もはや人間の限界をも超えてしまったのではないかと思ってしまうくらいの、難度の高い、素晴らしい演技をすることで、一躍その名を世界にとどろかせました。

ご存知の通り、特に「ゆか」の演技においては、素人では決して目で追えないような多くの「ひねり」を加え、「いったい何回回ってるんだ…」と誰もが思わせられてしまうはずです(「いったい何回回ってるんだ…」という感想は、上で触れた羽生選手のジャンプも一緒ですね)。

その「ひねり」具合については、先輩選手であるあの内村選手にして「ひねりすぎて気持ち悪い」と言わしめ、世間では「ひねり王子」、海外でも「Mister Twist」(ミスターツイスト)と呼ばれていたほどです。

ところで、体操においては伝統的に、新しい技に対して主要国際大会で初めて成功させた選手の名前を命名するため、彼の名前「シライ」がついた技がいくつかあります。

要するにそれくらい、これまで何度も新しい技を世界で初めて成功させてきたという、未踏の領域を切り拓いてきた選手なのです。

いくつもの大会で、男子では最高の「H難度」に認定される大技を決め、その度に話題を独占しました。

彼も、羽生選手と同じように、自らに限界など決して設けず、(我々にとっての)未知の領域で勝負している選手であったという訳です。

ちなみに白井選手は、トップ選手となってもまだまだ貪欲に進化を求め続けていく中で、同じ採点競技で積極的に高難度を追求している羽生選手を強く意識していたようです。

(羽生選手の存在が)「すごく刺激になる」とは、当時のご本人の弁だそうです。

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今回、あえて2人のスポーツ選手を取り上げてみました。

彼らは2人とも、十代後半から二十代前半という極めて若い時代に、突出した能力と誰にも負けない努力で、栄光を手にしました(羽生選手は1994年生まれ、白井選手は1996年生まれ)。

そんな彼らから、起業家として謙虚に、かつ貪欲に何かを学び取ることが出来るのであれば、彼らと同じように、決して自らに限界を設ける必要などないということも、自ずと理解出来るのではないでしょうか。

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