以前にも触れましたが、一緒に話をしていて「この人は成功しそうだな」と感じさせてくれる起業家は、自らが描く成功までの道筋にビシッとした一貫性があり、それに沿った夢や野望を熱く語ってくれるという、要するに、口にする内容がしっかりとした「自分軸の話」であることが多いものです。
一方で、成功を感じさせてくれない起業家は、「自分軸の話」とは真逆の「他人軸の話」とでも言うべき、家族や環境などの話が多いのです。
そして、それらの違いに注意して耳を傾けていれば、実はしばらく一緒に話をしているだけで、その人が起業家として成功出来そうかそうでないかが、分かってしまうという訳です。
この辺りについては以下のページに詳しいので、未読の方はぜひご参照くださいませ。
※参考
→「苦労を家族や環境のせいにしてはいないか」
うまくいっている起業家には品位がある
さて、それとは別に、実はその人の生活の様子や、付き合っている友人・知人を見ることで、その人が起業家として現在どのような状況にいるのか、うまくいっているのかいないのか、ひいては成功出来そうかそうでないのかが、分かってしまうことがあります。
端的に言えば、うまくいっている起業家の生活はとてもしっかりしており、周りにいる人間の基準も高いのです。
要するに、すべてにおいてレベルが高く、大いに品位を感じさせてくれるのです。
妥協なき高い基準
これは決して、ハイソな生活をしているとか、周りのものすべてが金銭的に高額であるとか、そういった意味ではありません。
うまくいっている起業家、将来的な成功を感じさせてくれる起業家というのは、自らに妥協せず、すべてにおいて高い基準を設定しているため、必然的に人間としての意識の高さといったものが滲み出ているのです。
例えば、お金はなくとも、常に高い目標を設定してそれに挑戦していたり、怠惰に甘んじることなく常に努力していたりと、人として非常にリスペクト出来るという訳です。
そして、「類は友を呼ぶ」ではありませんが、そういう人には自然と、同じように妥協なき高い基準を持ち合わせている人間が、周りに集まってくるものなのです。
あるいは、本人が自らを鼓舞し、あえて高い基準の中に身を置くために、意識してそういう人とお付き合いをしているという側面もあるでしょう。
起業家が起業家同士で集まったり、企業の社長や経営者がコミュニティーを形成したりするのは、お互い同じような境遇にいるために話が合ったり、苦労を分かち合うことが出来たりするから…といった理由はもちろんありますが、それ以外に、自らの価値基準を高いレベルで維持し、大いに刺激を受け続けるといったところに、計り知れない意味があるものなのです。
人間としての高い意識を磨く
ところで、ここまで話してきたことは、何も起業家に限った話ではないかもしれません。
生活ぶりや、付き合っている周りの人間を見れば、その人のレベルが自然と分かってしまうというのは、よく言われることです。
なにも無理して、生活レベルを上げたり、基準の高い人間と付き合ったりするべきだと言っているのではありません。
人間としての高い意識が根底にあれば、必然的に、自分を取り巻くすべてのレベルが上がっていくはずなのです。
逆に言えば、それを磨くことが、誰においても、どんな道を歩んでいても、自らの成功への近道になるということではないでしょうか。
とにかく外へ出てみること
とはいえ、しっかりとした生活を送るとか、レベルの高い品位のある環境に身を置くとか、あるいは人間としての高い意識を磨くとか言っても、具体的にどうしたら良いのかよく分からないといった方は多いでしょう。
そんな時は、あれやこれやと難しく考えずに、とにかく外へ出てみることです。
起業家としての毎日の仕事やプレッシャーに忙殺されて、ともすれば閉じた世界に籠ってしまうような状況を打破し、殻を打ち破ってみることです。
何かのコミュニティーに顔を出してみたり、勉強会に参加してみたり…。
あるいは、遠くへドライブしてみたり、旅行をしてみたり…。
はたまた、これまで興味すら持たなかったジャンルの映画を観てみたり、新しい趣味に挑戦したり、新規のお店を開拓して馴染みのないお酒を飲んでみたり…なんてことも、一案かもしれません。
外へ出る目的やその内容について、仕事に関することにこだわる必要などないのです。
遊ぶためでもいいから、とにかく外へ出てみるのです。
ただ、遊ぶことすら経験であり、自らへの投資である…という意識だけは、持っていたほうがいいでしょう。
そうやって遊んでみることで、必ず何がしかの刺激を受け、仕事にも好影響を及ぼし、生活全体にリズムを作ることが可能になります。
ひいては、その過程で、少しずつではあっても、人間としての高い意識というものが、磨かれていくものなのです。
出来る人ほど、遊びも本気で、かつよく遊んでいるというのは、実は決して間違いではないのです。