一発屋になるな

「一発屋」という言葉があります。

元々は歌手や芸人など、芸能の世界において使われることの多かった表現ですが、今ではスポーツ選手や著作家など、あらゆる分野の人たちにおいて用いられているようです。

短期間において一時的に活躍を見せたり、一つ二つヒット作を生み出したりして大いに話題となった後、その後は表舞台から消え去ってしまったかのようにほとんど名前が聞かれなくなってしまった人たちを指して、ある意味で侮辱的に使用されることも多い言葉です。

さて、この「一発屋」ですが、起業家、要するにビジネスの世界でも数多く存在するものなのです。

つまり、勇んで起業し、ビギナーズラックもあってか、最初に手掛けた事業が大いにうまくいって軌道に乗ったかと思いきや、その後が全く続かず、収支の厳しい状況をさまようことはおろか、ともすれば起業家人生そのものを諦めなければならない事態に至ってしまうという人たちです。

一発屋の起業家はなぜ生まれるか

こういった一発屋の起業家は、なぜ生まれてしまうのでしょうか。

多くの場合、最初の事業が成功したことで安心し、それに慢心してしまうことに起因するようです。

本来であれば、事業が当たった際、要するに商品やサービスがヒットした時こそ、やるべきことがたくさんあるはずなのです。

それが、起業して最初に手掛けた事業であればなおさらです。

なぜ当たったのか、なぜヒットしたのか、どうしてうまくいったのかという、背景や要因を詳細に分析することもその一つでしょう。

慢心して、それを怠ってしまえば、次に繋がるはずはありません。

そもそも、単なるファインプレーがたまたま発生しただけだったのかもしれないのです。

ビギナーズラックなんて、そうそう続くものではないのです。

※参考
→「ファインプレーには要注意

魚のとり方を学ぼうとしない人たち

「魚のとり方を学べ」とは、多くの方がたびたび耳にする言葉かと思います。

指導や教育といったシチュエーションにおいても、魚そのものを与えるのではなく、魚のとり方を教えるべきだということがよく言われます。

それは、魚そのものを手にすればその日1日食いつなぐことには困らないが、そもそも魚のとり方を学べば一生困らず生き抜くことが出来るという、古くからの有名な教えがあるからですよね。

一発屋で終わってしまう起業家などはまさにこれで、要するに、一度の大漁という結果に気を良くするばかりで、そこに至る過程、つまりは魚のとり方を一切学ぼうとしないのです。

これは、経験の浅い起業家のみならず、ある程度の規模を持つ組織のトップや経営者に就いた人たちにもしばしば見られる傾向です。

すなわち、部下がとってきた魚の恩恵に浴するばかりで、そのとり方には一切関与しようとせず、すべて任せっきりという体たらくです。

いざ、魚のとり方を知っている部下が離脱して初めて、それを学ぶことの重大さを知り、慌てふためくという訳です。

魚のとり方を学び、確固たる自らのものとしない限り、起業家や経営者としての大きな成功など決してあり得ないと考えるべきでしょう。

世の中で成功している起業家や経営者の多くは、それぞれの分野における魚のとり方について、自らが日々研究したり、創意工夫したりしているものだということを知っておいてください。

例えば、今でも全国で絶大な人気を誇っている、餃子を売りにした有名な中華料理チェーンの元社長は、餃子の焼き方にとことんこだわり、自ら厨房に立って餃子を焼くことも少なくなかったという話を聞いたことがあります。

餃子の焼き方について語らせ始めたら、話が止まらなかったそうです。

要するにそれくらい、一番の売りである餃子の焼き方にこだわっていたということです。

大企業のトップが、餃子の焼き方という現場の末端にとことんこだわることが果たしてどこまで正解なのかという議論はあるものの、ともあれ、トップ自らが魚のとり方にこだわり、実際に魚をとりにいくというその姿勢が、多くの従業員を奮い立たせ、結果、全国的なチェーンへと発展していく大きな要因となったのは、疑いのないことでしょう。

魚のとり方を学ぼうとしない起業家や、現場に任せっきりで何もしない経営者など、たとえファインプレーで当たることはあっても、それは単なる一発屋であり、中・長期的に見れば間違いなく凋落していくに違いないのです。

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