「Googleは、世界を征服するつもりに違いない。」
このことは以前より様々な人が訴えており、今なおあらゆる議論がなされている話題ではありますが、そこには「Googleに世界が乗っ取られる」といった少し懐疑的なものから、「Googleが世界をより良く変えてくれる」といった称賛を意味するものまで、幅広い言説があります。
いずれにせよ、今やITの世界のみならず、一般社会においてもあまりに有名になってしまったGoogle(グーグル)社ですが、「世界征服」などといった噂がまことしやかに囁かれるのも、今や同社の名前をそこここで耳にする機会が増え、その進出分野やカバー範囲があまりにも多岐に渡るが故、なのでしょう。
一例として、Google社がロボット関連企業を次々と買収し、ロボットや人工知能(AI:Artificial Intelligence)の分野に進出していることはご存知の通りです。
今やその流れで、アメリカでは同社の人工知能を積んだ自動運転車が公道をテスト走行しているなど、ITを武器に自動車産業までをも鋭く切りにかかっています。
たかだか二十数年前、まだGoogleがほぼ検索エンジンの開発のみに従事していた頃、同社が強烈なライバルとなることを予想出来た自動車メーカーなど、果たして存在したでしょうか。
しかしながら、少し冷静に考えてみれば、インターネット上の膨大な量のWebサイトから目的のものを探すために利用される検索エンジンは、人間が何を考え、何を求めているかといったことを入力キーワードなどから類推するという、いわば人工知能的な役割が強く求められるものであり、その技術が高じて、今やコンピュータ制御が多用されている安全第一の自動車に適用しようという流れとなったことも、極めて合点がいくものです。
つまり、Googleがまだ今ほどのプレゼンスを発揮していない黎明期に、現在のような人工知能分野や、ひいては自動車産業に進出するような状況になることをずばり予測した人がしたとしても、何ら不思議ではないのです。
バタフライ効果
バタフライ効果(バタフライ・エフェクト)という言葉があります。
この表現は、「ブラジルにいる1匹の蝶の羽ばたきが、テキサスで竜巻を引き起こすだろうか?」という、一人の気象学者の問いかけから始まったと言われています。
要するに、蝶の羽ばたきのような小さな力やわずかな変化が、遠く離れた場所で竜巻のような大きな影響となって現れるといった、それ(小さな力やわずかな変化)があった場合となかった場合とでは結果が大きく異なってしまうという状況、あるいはその現象を表す言葉です。
何が言いたいかと言えば、我々が大きな不利益を被ったり、負の影響を受けたりするその原因について、それがどこにあるのか、あるいは何がそうなるのかは、誰にも分からないということです。
そう考えれば、自社(自分)の商品やサービスを脅かすようなライバルの存在は、何も同業他社(他者)だけとは限らないということなのです。
少し意味合いは変わってくるかもしれませんが、日本にも「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざがあります。
まさにこのことわざ通りで、普通に考えてしまえば全く関係がないと思われるようなことが原因で、自らに影響が及んだり、足をすくわれたりといったことが、世の中では往々にして起こっている訳です。
俯瞰視点と広い視野
Googleの例にせよ、バタフライ・エフェクトにせよ、要するにそこから分かることは、どんなことであっても全くの無関係とは言い切れず、すべては繋がっていると考えることが賢明であるということなのです。
自らの事業とは全く無関係と思われた企業の発展や技術の進歩が、時を経て自らに大きな不都合や損害を与える元凶となってしまったなどというケースは、恐らく探せば無数に存在するでしょう。
それを予測し、未然に防ぐことは非常に難しいことであるのかもしれませんが、世の中には高い俯瞰視点と広い視野をもって、それをやってしまう人もいるのです。
これぞまさに起業家ならでは、あまりにもカッコよくはないでしょうか(笑)。
要するに、決して不可能なことではないということです。
逆に言えば、無関係と思われる小さな力やわずかな変化を見逃さずに、自らの事業へのプラスの影響、すなわち大きな利益に結び付けることだって可能という意味であって、そう考えれば、自らが身を置く業界のみならず、他業界をも含めたあらゆる社会の動きが、大きなビジネスのヒントになり得るということです。
フィルターバブル
フィルターバブル(filter bubble)という言葉をご存知でしょうか。
元々は上でも話題にしたGoogleを始めとする検索エンジンにおける現象なのですが、その検索結果が、ユーザー個々の行動や嗜好を基にしたフィルター機能によりパーソナライズ化されることによって、一方的な視点に最適化された、いわば偏った情報しか手に入らなくなるということを表す言葉です。
要するに、自らの殻の中の閉じた世界においては、一方的で予想通りの情報しか得ることが出来ず、自分の知らない新たな発見や別角度からの知見が、得られないということなのです。
起業家たるもの、当然のことながら、こういった事態は防がなくてはなりません。
昨今では異業種交流会なども盛んに開催されていますが、単に協業や提携といった可能性を求めるだけでなく、そういった意図や観点をもってそこに参加してみるというのも、間違いなく起業家として大きな意味を持つことになるでしょう。
※参考 →「すべてが成功に向かって動き出す瞬間」 →「点が線になる瞬間を体感せよ」