熱意だけではうまくいかない

私が若きサラリーマンだった頃のとある上司は、部下が「頑張ります」という言葉を発すると、烈火のごとく憤慨しました。

この「頑張ります」という言葉は、前向きな姿勢の表れであり、一般的には評価されることも多いはずです。

それ故、我々は日頃から口癖のように使ったり、あるいは人が言うのをよく耳にしたりするものですが、その上司曰く、この言葉は、具体的な内容が全く含まれていない無責任なものだというのです。

要するに、そもそも頑張るのは当たり前であって、わざわざそれを宣言することに何の意味もないということなのでしょう。

その上司ですが、さらにこの言葉に「自分なりに」「出来る限り」「精一杯」なんていう修飾が加わったものを聞いたりすると、それはもう大変でした。

くどくどと何十分にも渡る説教が始まってしまうことになったものです(笑)。

ただでさえ無責任でナンセンスな「頑張ります」に、それらの言葉が加わることで、より無責任で意味不明瞭なものになるという訳です。

確かに、「自分なりに」という言葉には、暗に「自分の力が及ばなかったら仕方がない」という逃げのニュアンスが含まれています。

「出来る限り」や「精一杯」も同様で、「それでもダメならやむを得ない」といった含みを感じます。

そもそも、「出来る限り」やる、「精一杯」やる、というのも、「頑張ります」と同様に当たり前のことであって、あえて「少し手を抜きます」などと宣言する人間は、普通はいない訳です。

必要なのは具体的なもの

さて、何故いきなりこのような話を始めたかと言うと、このように「頑張ります!」「自分なりに努力します!」などの言葉を連発するような起業家は、一見前向きで頼もしいようにも思えますが、往々にしてうまくいかないことが多いということをお伝えしたかったからです。

こういう起業家に限って、具体的な計画や準備が何もないまま、「とにかく助けてほしい」「何とかしてください」と、方々の専門家に迫ったりするものです。

意気込みと熱意だけで、何とかなると考えてしまっているのです。

こういう起業家に対しては、金融機関も非常に敏感だったりします。

例えば、資金融資の依頼をする際に、いくら「頑張ります!」「絶対に成功してみせます!」と息巻いて連発したところで、それだけではまず融資を勝ち取ることは難しいでしょう。

そういう人が大抵うまくいかないということを、金融機関も経験上よく知っているからです。

融資承諾のためには、説得力のある事業計画など、具体的なものがより重要であることは、あえて言うまでもありません。

そしてそれは、起業して事業を推進していくためにも、ひいては成功を手に入れるためにも全く同様で、もはや意気込みや熱意があるのは当たり前、その上で必要かつ、より重要なのは、具体的な計画や施策、そして実際の行動なのです。

「自分なりに反省」は本当に反省しているか

先日、賭博をしていたということで所属チームから契約解除処分となったあるスポーツ選手の発言が、インターネット上で話題となっていました。

「自分なりに反省しています」

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これを受けたネットユーザーから、

「こいつ全然反省してねーな」

「反省じゃなくて後悔してるだけだろ」

「自分の置かれた状況が分かってないね」

「まだ何とかなると思ってそう」

「頭が悪すぎる」

などと、辛辣な意見が相次いだのです。

とかく厳しい目を持っているネットユーザーには、やはり「自分なりに」という言葉が持つ無責任なニュアンスが、敏感に伝わってしまったようでした。

起業家がそれでは組織が腐る

ともあれ、気が付くと、「頑張ります」とか、「自分なりに」「出来る限り」「精一杯」などといった言葉を使ってしまっているという方は、自分でも知らず知らずのうちに逃げの姿勢になってしまっていないか、意気込みや熱意だけで具体的なものが何もない状況に陥ってしまっていないか、今一度注意して自らを検証してみることが、早急に必要なのではないでしょうか。

そして、トップである起業家がそのような言葉を連発している組織は、間違いなく全体でそのような言葉が流行ることになり、ひいては逃げや無責任が横行し、具体的なものが何もなくても許されるような、そんな文化になってしまうことでしょう。

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