東日本大震災から13年、起業家として出来ること

今年(2024年)の初め、まさに元日でしたが、能登半島地震が発生しました。当日、私は関東にいたため、直接被害を被った訳ではないのですが、ニュース速報を見ながら嫌な汗をかいていました。東北地方に知り合いが多いこともあって、どうしても大きな地震が起きるたびに、東日本大震災のショックが頭をよぎってしまうからです。最近、日本全国でとみに地震が多いように感じていることもあり、今日は、それに関連した話をしたいと思います。

東日本大震災の発生から、13年以上が経過しています。

発生の当日以降、各地で復興支援イベントや、犠牲者の追悼式が行われてきました。今後も、日本人として忘れられない未曽有の大災害について、国民一人一人が胸に刻み、思いを馳せ、どう行動するかを考えていかなければなりません。地震が多い昨今では、特にその重要性は高まっているでしょう。

現実として被災地においては、地元の皆様の頑張りによって活力が戻りつつある一方で、まだまだ復興が進まず、震災の傷跡が大きく残っているところもあるとききます。原子力発電の問題にしても、10年以上が経っているにもかかわらず、未だ100%の解決には至っていません。

復興から5年が経過した2016年のこと。こんな言葉が強く印象に残った記憶があります。

「正直、とてもじゃないが復興しているようには見えない。5年経ってこれか…という思い。逆に言えばそれほどの大きな被害だったということ」

この言葉、被災地である東北(岩手県)出身のプロサッカー選手・小笠原満男さん(鹿島アントラーズ所属)の弁でした(2018年シーズンを最後に、残念ながら現役を引退されました)。

小笠原さんは、東日本大震災を受け、自らの先導で東北出身のJリーガーたちと共に「東北人魂を持つJ選手の会(通称:東北人魂)」という団体を結成し、以来ずっと活動を続けるなど、常に復興支援の先頭に立ち続けているアスリートの一人です。

震災発生当時は、果たしてこんな状況でサッカーを続けていていいものなのだろうかと、正直、辞めようと思ったこともあったといいます。

それでも、すぐに被災地へ飛んだその時に、被災者の方々から「サッカー頑張って」などと励まされ、改めてサッカーでその恩返しをしたいと考えたそうです。

当初の復興支援は、被災地の子供たちにサッカーボールやスパイクなどを贈る活動がメインだったそうですが、そうすることで例えば現地のスポーツ用品店の売上が低迷し、逆に復興や再生の妨げになってしまっている面があるのではないか…と考え、以後はサッカーを通じて直接子供たちと触れ合うことに主眼を置き、オフを中心に被災地へ直接足を運んだり、子供たちが走り回れるグラウンドを造るプロジェクトを進めたりすることに注力していました。

実際、支援物資を大量に送った場合に、それと同じものを取り扱っている現地のお店では、販売が伸びなくなってかえって迷惑になってしまうというケースが存在していたようです。

また、支援物資が被災地の需要を大きく上回り、大量に余ってしまうことで、結局はコストをかけて廃棄するという事態が発生していた事実も耳にしました。

我々が良かれと思ってやっていることが、逆に被災者の方にとっては迷惑だったり、復興に水を差したりする結果を招いてしまうこともあるということなのです。

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さて、冒頭で触れたように、能登半島地震も発生してしまった今年、改めて考えてみたいのは、そういった状況を前に、我々が起業家として出来るのはいったいどういったことなのだろうか?ということです。

もちろん、物資ではなく義援金や寄付金という形で支援するというのは、まず考えられることです。

あとはやはり、被災地での事業を起ち上げ、そこで雇用を生むなど、ビジネスという観点から復興を支援することも出来そうです。

そして何より、日本中を震撼させた大災害の経験を、しっかりと後世に伝えるということが重要なのではないでしょうか。

暗いニュースが溢れ、日本全体に元気が感じられない今こそ改めて、その思いを強くする時なのかもしれません。

人間ですから、どんなに強烈な経験であっても、時間が経てば経つほど記憶は薄れ、印象は弱くなっていきます。

「この事実や経験を風化させないように」といった声は、東日本大震災の発生直後から多く聞かれましたが、最近では、残念ながら既に大きく風化が進んでしまっているといった話もよく耳にします。

ですが、実際に被災された方はもちろん、震災によって大切な人を失った方など、あの日をまだまだ昨日のことのように感じている人、あの瞬間からまだまだ時計が進んでいない人というのは、日本中に数多く存在しているのです。

そういった人たちにとっては、風化などとんでもない話のはずです。

この事実は、決して忘れてはいけないでしょう。

ちなみに、直接被害に遭われた被災者の方に、「我々に出来ることは何か」という問いを投げかけると、多い答えは「ずっと忘れないでいてほしい」というものだそうです。

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私自身はと言えば、東日本大震災の発生当時、仕事で東京におりました。

東京でもかなりの揺れを感じ、築年数の古いビルの最上階にいたせいもあって、相当な恐怖を覚えたものです。

最初の揺れが収まった後も、幾度となく続く余震、そして、数々のものが倒れ、散乱し、破壊されている室内の光景…。

私ですら、あの恐怖とその光景は未だに忘れることが出来ないのですから、被災地の方のそれはいかばかりだったか…想像を絶するものだったに間違いはないのですが、これはもうどんなに言葉を尽くしても当人にしか分からないことであり、もはや我々は推測するしかありません。

それでも、それを理解しようと、被災者の方の様々な話を聴くことは、決して無駄であるとは思いません。

また、おかしな言い方かもしれませんが、交通機関が麻痺し、自宅まで半日かけて歩いて帰ったことも、震災をしっかりと心に刻むのには印象的な経験となりました。

その重い一歩一歩が、ずっしりと心に響き、事の重大さを感じさせてくれたのです。

それも、被災地の方の苦労に比べたら、何のことはないでしょう。

そもそも、比べること自体が見当違いなのかもしれません。

しかれども、我々は我々なりに、震災が起きたという事実を忘れずに、あらゆる観点からそれを後世に伝えていく…そのことが非常に重要であると考えています。

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残念ながら、東日本大震災や能登半島地震を含め、これまで日本で起きてきた地震を始めとする大きな災害は、昨今に限ったとしても決して少なくはありません。

そのため、ことさら東日本大震災だけを取り上げたり、他の災害における被災地や被災者の方に対して何もしないというのであっては、ともすれば中途半端と言われてしまっても仕方がないでしょう。

そんなつもりは全くないのですが、今回は、なぜだか強く東日本大震災のショックを思い出してしまい、恐れ多くも当記事の執筆に至りました。

起業の成功という当サイトのテーマとは必ずしも合致するものではありませんが、ご理解いただきたく存じます。

また、シビアなテーマであるが故、つたない文章及び内容と感じられる方がいらっしゃいましたら、こちらも何卒ご容赦いただければ幸いです。

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