価格設定は買い手側の論理で

自らの崇高な志を、力説する起業家がいます。

自分が提供する商品やサービスにおける社会的意義の高さを、声高に謳う起業家がいます。

金銭だけが己の事業の存在価値ではないと、強く主張する起業家がいます。

…ですが、それらが真実であり、どれだけ素晴らしいことであろうとも、収益が上がらなければ、それは趣味やボランティアの域を出ず、決してビジネスとは呼べないのです。

厳しいことを言えば、ひいては、その人は「起業家」にもなり得ないということです。

起業家として、ビジネスに取り組む限りは、収益を上げること、そしてそれを高めていくことを考え続けなくてはなりません。

さらにはもちろん、それを結果として実現しなくてはならないのです。

ビジネスがビジネスである限り、何はともあれ最終的にはそこに帰結してしまうのです。

起業家である以上、それだけは、いつでも、どこでも、そして何があっても、忘れてはならないことです。

価格設定と収益性は不可分である

ところで、この「収益を上げる」「収益性を高める」といったことを実現するにあたって、重要なポイントとして語られることが多いのが「価格設定」についてです。

要するに、商品やサービスの価格をいくらに設定すればいいのかという、実にシンプルな問題です。

シンプルとはいえ、実際には一口に「価格設定」と言っても、様々なファクターを含み、ありとあらゆる条件が絡んでくるという、一筋縄では行かないものです。

また、事業の収益性にストレートに影響する密接不可分なものであり、それ故、極めて重要でもあります。

ただ、ここでは文字通りシンプルに考えて、価格設定におけるそもそもの大きな「原則」について触れておきたいと思います。

価値にふさわしい価格を設定する

さて、価格設定において大事なことは、そこに費やしたコストやリソース(原材料費・人件費・時間…その他諸々)を基に、価格を決定する「のではない」ということです。

多くの人は、これだけのコストと、これだけの時間がかかったのだから、これくらいの値段で売らないことには割に合わない…といった思考で、商品やサービスの価格を考えてしまいます。

ただこれは、全くもって商品やサービスを提供する側の論理であり、それを受け取って価値を享受する側、要するに買い手やクライアントにとっては、全く関係のないことです。

言い換えれば、その価格は、買い手やクライアント側の論理、すなわち彼らが享受する「価値」に基づいて決定されるべきなのです。

この問題は実は、顧客との契約の下、一定の製造期間を経て提供される物やサービス(物理的な(有形)商品だけではなく、システムやソフトウェアなどの無形商品・サービスを含む)において、顕著な話となります。

例えば、とあるシステムを開発するにあたり、その見積りを、開発会社A開発会社Bに依頼したとします。

Aの見積もりは、開発期間3日金額100万円というもの。

Bの見積もりは、開発期間1ヶ月金額300万円というもの。

この場合、当然のことながらAに開発を要請する…という選択になるのでしょうが、その際、例えば、Bの出してきた見積り「1ヶ月で300万円」を根拠に、「開発期間が3日( = 1ヶ月の10分の1)であるならば、金額は30万円( = 300万円の10分の1)が妥当ではないか」などといった値引き交渉を行うのが、全くのピント外れであり、どれだけナンセンスなことであるか、お分かりいただけるでしょうか。

実際、こういった類いのナンセンスな言い分(要求)が、堂々とまかり通ってしまっているのが現実であったりするのですが…(不当な値引要求は、下請法などによって厳に禁止されているにも拘らず…です)。

恐らく、Aが「開発期間3日」という短期間の見積りを提示できるのは、定型化や効率化といった企業努力の賜物に違いないでしょう。

しかしながら、こういった言い分がまかり通ってしまう世界においては、努力すればするほどどんどん儲からなくなってしまうという、大いなる理不尽が生ずることになります。

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少し分かりづらかったかと思いますので、もう一つ、別の事例を挙げてみます。

実は同様の話は、個人レベルにおいても往々にして起こりがちなことなのです。

例えば、とある企業の同期入社で、基本給与が全く変わらないAさんBさんがいたとします。

ちょうど1ヶ月で終わらせることの出来る仕事を、上司がAさんに依頼したところ、Aさんはすべてを定時内でそつなくこなし、残業をすることもなく、予定通り無事1ヶ月で完了させました。

一方で、同じ仕事をBさんに依頼したところ、Bさんは非常に要領が悪く、毎日のように長時間の残業をすることで、何とか無事1ヶ月で完了させました。

2人ともこの1ヶ月間、他の仕事は一切しなかったものとして、この時もし、残業代の分だけ、Bさんのほうが多くの給料を受け取るとしたら…何だかおかしな話だとは思いませんか?

もちろん、これは一時的な話であって、今後正当に評価されていけば、ゆくゆくはAさんとBさんの基本給与に差がついていくのかもしれませんが…。

ともあれ、日本でも裁量労働制や歩合制などの導入により、「時間」に関係なくあくまでも「結果」に対して対価を支払うといった仕組みが一部では浸透しつつあるものの、まだまだこのように、「仕事が出来ず、時間がかかってしまう人のほうが、実際には多くの報酬を受け取ってしまう」といった理不尽が、しばしば起きてしまっているというのが、多くの企業における実状なのです。

これはそもそも、結果(その仕事の価値)ではなく、かかった時間やコストに対して対価(給料)が支払われるという仕組みであるからこそ起こり得ることです。

話を戻して、商品やサービスの価格設定についても全く同様で、費やした時間やコストといった提供する側の論理ではなく、その商品やサービスにどれくらいの価値があるのか、これを享受することでどれだけの利益を被ることが出来るのか…といった、いわば買い手やクライアント側の論理に基づいて価格を設定しなければ、得てしておかしなことが起こってしまうものなのです。

買い手やクライアントにとって重要な価値を提供するものだったり、社会的に大きな意義を生み出す重大なものだったりするのであれば、その商品やサービスには、それらが持つ重みにふさわしい価格を設定して、しかるべきであるということです。

適切な価格設定は、成功への第一歩

商品やサービスにおける適切な価格設定は、間違いなく事業の収益性を高め、起業家としての成功に向けた大きな飛躍の第一歩となります。

赤字になってしまっては元も子もありませんが、そもそも価値をベースに価格を設定した上で赤字になってしまうということは、根本的にビジネスとして成り立たない(儲かるだけの大きな価値が認められない)か、あるいは原価をかけすぎているかのどちらかです。

語弊を恐れずに言ってしまえば、相応の価値を提供出来る商品やサービスに対して、適切な価格を設定した上で事業を展開すれば、必ずや収益が発生するということはもはやビジネスにおける自明の理だからです。

実際には、買い手やクライアントが享受する価値というものは、比較検討されるライバルや市場メカニズム、すなわち競合他社の商品やサービスの内容、あるいはその価格などをも含めた上での総合的な「価値」ということになりますので、ここで言及してきたことはあくまでも、シンプルに考えた上での「原則」に過ぎない…ということは上述した通りです。

それでも、「されど原則は原則」であり、この原則を頭に留めておくのとそうでないのとでは、事業運営上極めて重要な「価格設定」に対する起業家としての根本的な姿勢がそもそも変わってきますから、ぜひ強く認識しておいていただきたいと考えます。

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