「好きなことしかやらない」という生き方

人生において、もはや「好きなことしかやらない」という決心をしている人がいます。

気に入った店でしか食事をしないとか、好きな人としか会わないとか、生活におけるあらゆることについてそれを実践しているような人です。

私の周りにも何人かいます。

彼らを見ていると、年齢は概ね30代後半から40代前半、すなわち、ある程度の人生経験を積んで、酸いも甘いも知り尽くしたところで、残りの人生の1秒たりとも無駄にしたくない、という思考に至ったというのが、ほぼ共通する経緯のようです。

そして、そういう考え方・生き方が故に、仕事においてもそれを貫くべく、脱サラして起業をした人間もいます。

もはや「好きな仕事しかしない」「自分の好きなようにしか働かない」という訳です。

彼らは、ただの変わり者なのでしょうか?

そしてこれは、単なるわがままな生き方なのでしょうか?

あるいは、単に世の中をナメているだけなのでしょうか?

どうしても、私にはそうは思えないのです。

むしろ彼らを見ていると、以前より目の輝きが変わり、非常に魅力的で、素直に「カッコいい」と思ってしまうのです。

その生き方が魅力的でカッコいいというだけではなく、人間として格段に素敵になった気がするのです。

一大決心をして、それを貫く人間はカッコいい

実際、どんな内容であれ、人生において一大決心をした人間は、魅力的でカッコいいものです。

そして、それを貫いている人間というのは、さらにカッコいいのです。

「一大」決心ですから、生半可な決意では、普通は貫けないと思われることが多いからです。

特に、「自分の好きなことしかやらない」「好きな仕事しかしない」などという生き方は、困難に直面したり、邪魔が入ったりすることも多いでしょう。

それ故、確固たる決意と強い意志がなければ、貫くことなどまず不可能です。

だからこそ(普通は不可能と思われるからこそ)、わがままに見えたり、世の中をナメていると思われたりするのでしょうが、逆に言えば、そんな状況でそれを貫いているというのは、めちゃくちゃカッコいいことじゃないでしょうか?

「好きな仕事しかしない」という気持ちが高じて、自分の趣味を仕事にしてしまった方、要するに趣味で起業してしまった方というのも、世の中にたくさん存在します。

現状を受け入れることだってカッコいい

また、一大決心をして独立・起業するとか、転職するとか、何がしか大きな動きを伴うことだけがカッコいいと思われがちですが、例えば「今の会社に骨を埋める」という決心だって、私は同じようにカッコいいと思います。

要するに現状を何もかも受け止め、かつそれを受け入れるという決心です。

これだって、同じように勇気が必要なもののはずです。

肝心なのは、決心をしたその内容なのではなく、何がしかの決心をして、それを貫くということなのです。

迷える子羊にならないために

ところで、昨今では、当ページのテーマである「好きなことしかやらない生き方」とか、「やりたいことだけをして生きていく方法」などといった書籍、あるいは講演会やセミナーといった類いが溢れ、大いに話題となっています。

あえてネガティブに表現するならば、それだけ、組織や人間関係といった制約の中で日々もがき苦しみ、ストレスフルな環境において自分を犠牲にしている感覚に苛まれている人たちが多いという、閉塞感に満ちた悲観的な現代社会に我々は生きているということなのでしょう。

それ故、「好きなことをして生きる」「自分らしく自由に生きる」「あなたらしい新しい生き方」などといったフレーズが、それだけで人々の関心を惹き、誰であっても追い求めたくなるような魅力に溢れており、実際にそれを模索し始める人が増えているという訳です。

ただ、その中には、上述したような確固たる決意と強い意志を持った「人生における一大決心」をしたという訳でもなく、もちろんそれを貫くといった覚悟もなく、そういった概念に短絡的に飛びついているだけの人も多いのです。

そういう人たちは往々にして、結局は理想と現実の狭間に陥ってしまい、悶々と日々をさまよいながら「こんなはずではなかった」と大いに困惑することになります。

つまりは、いわゆる「迷える子羊」となって、以前よりもさらに行き詰まった状況に身を置く羽目になるのです。

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さて、ではどうして、迷える子羊になってしまうのでしょうか。

一つ、「好きなことをして生きる」といったことに対する憧れや期待が大きすぎたことは、大きな要因として挙げられるでしょう。

要するに、あまりにも理想が膨らみすぎて、過度な妄想が先走り、自らのきらびやかな夢物語を描きすぎてしまうのです。

そんな人が、「なかなか思い通りにいかない」「考えていたほど簡単ではない」などと立ち往生し、自らの現実に強い違和感を覚えてしまう様子は、容易に想像がつきます。

ひいては、自分の描いていた夢物語が、単なる現実逃避であったことに、ようやく気付くという訳です。

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しかしながら、理想を膨らませ、自らの夢物語を描くことが出来るというその状況は、ある意味で幸せであると考えることも出来ます。

それが現実逃避であったとしても、しっかりと自分の好きなこと、やりたいこと、ひいては理想の生き方というものを、頭に思い描くことが出来ている状態であるとも言えるからです。

それよりもっと厄介なのは、「自分の好きなこととは何なのか?」「いったい自分は何をやりたいのか?」「自分らしい生き方とはどういうものなのか?」といった「そもそも」の部分が分からなくなり、悶々と自問自答を繰り返すというスパイラルに陥ってしまうことなのです。

つまり、「好きなことをして生きていこう!」「自分のやりたいことをやろう!」「自分らしく生きていこう!」と意気込んだのはいいものの、そもそもの前提で行き詰まってしまい、全く前に進めない状態になるのです。

これは実は、意外と多くの方が陥りやすい罠だったりします。

これまでずっと、自分の好きなこと、やりたいことと思っていたものが、いざクローズアップされ、急速に現実感を帯びた時、「自分は本当にこれが好きなのか?」「本当にこれをやりたかったのか?」などといった疑問がふと湧き出てきて、思考を占領してしまうというのは、全く珍しいことではないのです。

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好きなことや、やりたいことをして生きていくというのは、間違いなく誰にとっても理想であり、素敵なことではあります。

しかしながら、繰り返しになりますが、そこには確固たる決意と強い意志が必要であり、それを貫く決死の覚悟がなければ、高い可能性で「迷える子羊」となってさまようことになります。

ましてや、厳しいビジネスの世界において、「好きな仕事しかしない」と決意し、それをもって起業し、成功を目指すというのであれば、なおのことでしょう。

理想を追い求めるのは悪いことではありませんが、憧れや淡い期待だけで短絡的にそれに飛びついてしまうのは、決して賢明ではありません。

自らの覚悟に自信が持てないのであれば、一旦立ち止まり、己を振り返ってじっくり考えてみる必要がありそうです。

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