起業の動機には人によって様々な内容のものがあれど、脱サラして起業に踏み切った方の中には、「毎日変わり映えのない、型にはまったサラリーマン生活に嫌気が差して…」といった人も多くいらっしゃいます。
毎日同じ時間に起床し、決まった時間に家を出て、いつもの電車やバスに乗り…。
やはりいつも同じ顔ぶれの満員電車や混んだバスに揺られ、会社に着く頃には、既に疲労困憊だった…といった方も少なくないでしょう。
そういった朝の通勤事情はともかく、会社でも、決められたことを、決められた通りに、とにかくそつなくこなすことが求められ…。
そこには、何かを考えたり、工夫したりといった余地すらなかったかもしれません。
それに耐えられなかったという起業家が、実際に多いようです。
いわゆるルーティンワークとも呼べるような一連の行動ですが、とかく仕事上であれば、人はこの「ルーティンワーク」や、あるいは決められた枠組みという意味の「フレームワーク」に、部下や組織をはめ込もうとすることも多いものです。
語弊はありますが、端的に言えば、定常化・定型化により、日常業務を「誰にでも出来る仕事」にまで昇華させてしまうのです。
基本的にはそのほうが管理も楽だし、工数(時間や労力といったコスト)もかからないからです。
また、たとえ退職等によりメンバーが入れ替わったとしても、リカバリーも容易になるでしょう。
ただし一方で、そういった環境が進行すればするほど、クリエイティブな発想の挟まる余地が、どんどん少なくなっていくことも事実なのです。
こうして、まさに思考を停止させ、文句を言わずに同じことを繰り返すだけの、いわば「ロボット人間」とでも言うべき社員が最も歓迎される…そんな組織(企業)が出来上がっていくという訳です。
クリエイティブな要素がないと長続きしない
部下や組織をルーティンワークやフレームワークにはめ込もうとするこの傾向は、いい加減そういったことに嫌気が差してしまったが故に起業したという起業家であっても、実は時にはまってしまうものです。
要するに、自分はそれが嫌で耐えられなかったくせに、自らの部下や組織には、自ずとそれを強要してしまうという訳です。
確かに、ルーティンワークは非常に大事です。
フレームワークだって、特にビジネスフレームワークと呼ばれるようなものは、多くのビジネスマンや専門家たちが長年に渡って体系化した、叡智の結晶とも言えるものです。
つまりは上手に利用すれば、間違いなく一定の効果が期待出来るはずであり、それらを決して否定はいたしません。
しかしながら、ルーティンワークやフレームワークによる定常化・定型化というものは、ともすれば思考を停滞させ、観点の固定化を生み、視野が狭くなってしまいがちです。
ほどほどにしておかないと、非常につまらない、どんどん人が辞めていく組織になってしまうのです。
適度にクリエイティブな要素をエッセンスとして注入しないと、楽しめないし、長続きもしないというのが、多くの人間の本性だからです。
結局はバランスを図ってしまう
実は起業家を始めとする、組織のトップやリーダーは、常にこのジレンマに苛まれることになります。
上述したように、管理コストや工数のことだけを考えて組織を構築するのであれば、定常化・定型化によって日常業務を「誰にでも出来る仕事」にまで昇華させることが最も効果的であり、結果、創造性に乏しく、極めて発展的でないものになってしまうからです。
かといって、自由やクリエイティビティといったものを重視して、それだけをあまりに歓迎してしまうと、方向性の統一が困難になり、統制を図るのが非常にやっかいで、恐らく本業以外のことで頭を悩ませたり、自らのリソースを無駄に消費したりすることが多くなります。
そこで結局は、ある程度固定した枠組みを定めながらも、適度にクリエイティブな要素を散りばめ、各人のクリエイティビティを発揮する余地を残すという、バランスを重視した組織を目指すことになるのです。
そのバランスの調整は、決して一筋縄ではいかないものであり、ここに、やっかいなジレンマが発生する大きな理由があるという訳です。
そしてこのことは、人(社員やメンバー)の採用に関しても一緒です。
独創的で、クリエイティビティに溢れる人は、どんな組織でも欲しくなるものです。
ただ実際は、そういう人ばかりを採用する訳にもいかないというのが、現実なのです。
そういう人は概して、自由を大いに好み、逆に、仕事全体を鑑みた時に重要な屋台骨となっているであろう日々のルーティンワークや、ある種のフレームワーク的なものを、全く好まない傾向にあるからです。
全員がそうなってしまうと、組織としては全く成り立たないことも多いのです。
もしかしたらこの辺りに、「組織に馴染めない偏屈な人間が起業家になる」という、まことしやかに噂される言説の真相が、隠されているかもしれませんね(笑)。