余計なことを考えない

人間、切羽詰ったり、ストレスがたまってきたりすると、思考回路が普通ではなくなり、ああだこうだと余計なことを考えてしまうことが多くなります。

要するに、疑心暗鬼になり、何でもネガティブな方向に考えるようになってしまうのです。

今回は、そんな時に少し肩の力を抜いて、あえてそこにある事実だけを受け入れ、余計なことを考えないようにしてみるのはどうか、といった話です。

起業して、軌道に乗るまでは特に、不安と心配とストレスに押し潰されそうな日々を送ることも多いでしょう。

何せ、生活がかかっている訳ですから、それも至極当然のことです。

そんな時に、「こんな考え方もあったな」程度に思い出していただいて、少しでも気持ちが楽になっていただければ幸いです。

従って、そういう状況にない通常時(?)に、終始適用出来る考え方ではありません。

特に、事業のアイデアなどは、あれやこれやと余計なことを考えるところから生まれたりもする訳ですから(笑)。

どうしても切羽詰った際に、楽になるための一つの考え方として、それこそ楽な気持ちでお読みください。

思考をどんどん削ぎ落とす

さて、「コップに半分水が入っている状態を見て、どう考えるか」というあまりにも有名な話があります。

ご存知の方も多いと思いますので詳細な説明は割愛しますが、「まだ水は半分ある」と考えるプラス思考の人と、「もう水は半分しかない」と考えるマイナス思考の人との、対比を示す顕著な例としてよく引き合いに出される話です。

この時、元々がプラス思考かマイナス思考かに拘わらず、自身が芳しくない状況に置かれていると、「もう半分しかない、ああどうしよう、どうしよう…」といった思考に陥りがちです。

ただこれ、「まだ水は半分ある」と「もう水は半分しかない」という二者択一を迫られているという時点で、少々論理展開が強引である気もします。

同じように考える人は多いようで、単に「水が半分入っている」でいいじゃないか、といった意見もしばしば耳にするのです。

私などはもっと極端に、「半分」と認識することすら余計なことを考えているものと捉えて、「水が入っている」でいいじゃないか、とも思います(笑)。

さらにこの調子で、どんどんこれを削ぎ落としていくと…。

「水が入っている」

 ↓

「なんか入っている」

 ↓

「なんかある」

それこそ少々強引ですが(笑)、しかしながら、半分水の入ったコップを見て、「あ~、なんかあるな~」程度に考えられる人って、何だかストレスもたまらないような気がしませんか?

ありのままを感じるだけならストレスもたまらない

サラリーマン時代、私がとある会社のしがない若手社員として働いていた頃の話。

その会社には、社長室なるものがあったのですが、それとは別に、現場(開発室)にも社長専用のデスクがありました。

一応、パーティションで区切られていて、社長がいても現場からは見えないし、社長からも我々は見えないようになっていました。

それでも、社長がそこにいると、何だか訳の分からない緊張感を覚え、とにかく仕事がしづらかったのを覚えています。

要するにこの時の私は、社長に変なところを見られたくないとか、仕事ぶりに口出しされたらどうしようとか、色々と余計なことを考えすぎていたということなのでしょう。

多くの社員の話では、その社長、うたた寝をしにそこへ来ていただけらしいのですが(笑)。

それでも(眠っていると分かっていても)私は、社長がそこにいるだけで何だか妙なストレスと居心地の悪さを感じ、ノートパソコンを持ち出して別室で仕事をしたりしていました。

嫌味な上司、反りが合わない同僚など、形は違えど、これと同じような経験をお持ちの方も多いのではないでしょうか。

この場合も、水の入ったコップの例と同じように、「だれかいるな~」「なんかいるんだな~」くらいに楽な気持ちで考えることが出来ていたら、別室に避難するなどという必要もなく、変なストレスを感じることもなかったのかもしれません。

ドラッカーさんの言葉

さて、余計なことを考えず、シンプルにありのままを感じるだけの思考が、いかに気持ちを楽にし、ストレスをためずに済むかが何となく分かったところで、現代経営学の発明者と言われ、「マネジメント」という著書などでも有名な、経営学者ピーター・ドラッカーさんの言葉をご紹介します。

こちらは、「水が半分入っているコップの話」繋がりでご紹介するもので、これまでの話とは全く別の内容です。

蛇足と言えるかもしれませんが(笑)。

ともあれ、実はこれも大変有名な言葉ですので、特に起業家であればご存知の方は多いと推測します。

「「コップに水が半分入っている」ということと、「コップが半分カラである」ということは、量的には同じだが、意味は全く異なる。世の中の認識が「半分入っている」から「半分カラである」に変わる時、イノベーションの機会が生まれるのだ」

ちょっとした視点の違いですが、捉え方によってその意味やそこから生まれる可能性が大きく異なってくるということを、ドラッカーさんは言いたかったに違いありません。

そして当然、起業家であれば、「半分カラである」と認識することで、そこにさらなる可能性を感じるべきだということなのでしょう。

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