現在は、あらゆる情報そのものが生活資源や経営資源として重要視され、それを中心に社会が回っているという、いわゆる「情報化社会」です。
情報化社会は、インターネットやモバイル機器の普及に端を発しているものと思われがちですが(正直、私もそういう認識でしたが)、それらは情報化を推し進めただけであって、実はそもそもの幕開けは1960年代にまで遡ると言われているようです(ただ、この辺りの議論に関しては諸説あり、何が正しくて何が間違っている、という類いのものではないと考えられます)。
そして近年では、さらにそれが発展した「高度情報化社会」とまで謳われるようになりました。
そんな中、多くの起業家や経営者を見てきて、昨今痛感していることがあります。
それは、一言で言えば、「皆、あまりにも情報に囚われすぎ」ではないかということなのです。
成功率に囚われて…
例えば、起業を志した際、いったい世の中の起業家たちはどれくらいの確率で起業に成功しているのか、といったデータ(情報)が気になる人がいます。
これは極めて自然な感情でしょう。
インターネット上の検索でも何でも構いませんが、ちょっと調べてみれば、その確率、つまり起業の成功率に関する様々なデータが次から次へと溢れてきます。
ただ、その数値如何で、起業自体をためらったり、方向性を変えてしまったりするような状況であれば、そもそもその起業が成功する可能性は大変低いであろうと言わざるを得ません。
要するに、何をもって成功とするのかという定義も極めて曖昧な状況で、「成功率は○○%」という抽象的な情報に囚われ、それに惑わされるのは、あまりにもナンセンスであると言えるのではないでしょうか。
この辺りは以下で詳しく言及しましたので、ご参考までに。
※参考 →「起業の成功率に惑わされるな」
ステレオタイプ人間、量産中
確かに、突き詰めて考えれば、人間の知識や行動なんて、そもそもほとんどがどこかから仕入れた情報を基に成り立っているとも言えます。
ただ、そこに自分自身の経験や了見から生まれる信念や願望、ポリシーといったものが全く入る余地がなくなってしまうと、それは情報に囚われすぎて、自らが置かれている現実を見失っていると言わざるを得ません。
高度情報化社会に伴い、ある意味で過多とも言えるほど情報が溢れている状況において、何をするにもそれなりの情報が整備されているが故に、あまりにもそれに寄り掛かり過ぎている人が増えているように思います。
そこに自らが介在する余地が全くない、というより、介在する気すらない、避けているとさえ見受けられる人もいます。
こうして、行動や考え方が紋切型で全く面白味のない、ステレオタイプの同じような人間が量産されていくという訳です。
自分の本能や魂を信じる
きっかけや理由がどんなであれ、起業を志した方であれば、それなりの抱負や野心、それに伴う夢や野望といったものを胸に秘めているはずです。
にも拘わらず、それを差し置いて、溢れんばかりの情報にあれやこれやと翻弄され、悩んだり戸惑ったりすることで時間も労力も浪費し、最終的に結果が出せず疲弊していくだけというのは、本当に勿体ないことです。
もう少し、自らが備えている起業家としての本能、眠らざる魂といったものを、信じてあげてもいいのではないでしょうか。
要するに、もっと起業家としての直感に従って、自由に、そして大胆に行動して欲しいのです。
冒頭で、多くの起業家や経営者を見た上で、端的に「皆、あまりにも情報に囚われすぎ」であると感じる旨、言及しましたが、言い換えればそれは、「もっと起業家としての自分に自信を持ってください」ということでもあるのです。
※参考 →「自分に自信を持つ」