悠々自適で平和な生活とは?

起業して、明るく幸せな「成功」を手に入れる将来を夢見ながら、日々頑張っている方…。

言うまでもありませんが、当サイトで想定している閲覧者の方のイメージの一つです。

そういった方一人一人が想定している「成功」の具体的な形はそれぞれでしょうが、中には、あくせく働く必要のない、とにかく悠々自適で平和な生活を目指している…といった方もいらっしゃることでしょう。

「悠々自適」とは、文字通りの辞書的な意味で言えば、世間のつまらないことや世俗的な事項に煩わされることなく、自分の思いのまま心静かに暮らすことであり、確かに非常に魅力的な状態です。

「平和」とは、誰もがご存知の通りで、争いや心配事のない穏やかな状態であり、こちらも誰もが望んで当然のものと言えるでしょう。

つまり、悠々自適で平和な生活を目指すことは、それはそれでしかるべきであり、決して悪いことではないのです。

悠々自適の生活がいつの日か送れることを期待して、あらゆることを我慢しながら、今はとにかく賢明に働く。

穏やかで平和な日々が必ず到来すると信じて、どんな苦労や困難からも逃げることなく、今はとにかく必死で頑張る。

特に起業家であれば、そんな人は決して少なくないはずです。

「今」というものが、間違いなく「将来」や「未来」といったものに繋がっている以上、言い換えれば、「今」の積み重ねが「将来」や「未来」を形作る以上、そういった「今」の努力が、一人一人がイメージする「将来」や「未来」を実現することになるのを、私も信じてやみません。

自分が本当に望むもの

ただ、正直なところ、たまに思うこともあるのです。

「悠々自適で平和な生活って、自分にとっては幸せなものなんだろうか?」と。

そこに必要となるのは、やはりお金でしょうか?

お金さえ十分にあって、仕事をせずとものんびりと暮らすことが出来るという状態が、悠々自適で平和な生活なんでしょうか?

どうもしっくりこないのです。

私自身を振り返ってみれば、起業家となった時点で、そういったものは捨て去ってしまった気がします。

いや、「捨て去ってしまった」というのは、随分と語弊がある言い方かもしれません。

起業家となった時点で、ある意味「諦めてしまった」と言ったほうが近いでしょう。

恐らく私は、起業家として、一生現役でいるイメージが強いんだと思います。

時を経ればその様相は変わっていくかもしれませんが、とにかく何らかの形で自らのビジネスにずっと携わっていたいのです。

極論、単にのんびりと暮らすだけの穏やかで平和な日々を将来手に入れたければ、起業などせず、長年真面目にサラリーマンを勤め上げたっていい訳です(話がややこしくなるので、サラリーマンでも決して安定せず、真面目に勤め上げることすらままならない場合もあるといった昨今の実状は、この際ここでは考えないこととします)。

…というより、むしろそちらのほうが、私にとっては王道だったのかもしれません。

サラリーマンには基本的に、「定年退職」という分かりやすいゴールがあることも、そう思わせる理由の一つでしょう。

もちろん、私自身、仕事などせずとものんびりと過ごせて、自分の意志で自由に時間が使えるゆったりとした生活に、憧れがない訳ではありません。

ただ、自ら起業して、ビジネスという厳しい戦場に単身飛び込んだ時点で、自分が本当に望んでいるものはそれではないと、感じているのです。

悠々自適で平和な生活と、何もせず楽をして暮らすということ

そう思えるのは、今現在の私の状況が、忙しくはあるけれども非常に楽しく、充実しているといったことも大きく影響しているのかもしれません。

目が回るほど大変な時もあるし、決して穏やかとは言えない毎日ですが、それが自分にとって「幸せか?」と問われれば、堂々と「大いに幸せである」と答えることが出来るのです。

そして、今がそういった状態であるが故か、その延長線上にある、悠々自適で平和な生活…というものが、どうしてもイメージ出来ないのです。

もちろん、こういった話は人それぞれの考え方があって、どれが正解でどれが間違いだとか、どれが良くてどれが悪いとかいった話では決してありません。

では何故こんなことを言い出したかといえば、最近、何人かの起業家と話をしていて、悠々自適で平和な生活というものと、単に「何もせず楽をして暮らす」というものを、同義に考えてしまっているような方が多かったからです。

そういう考えのみで、悠々自適で平和な生活を目指してしまうことは、ともすると起業家として非常に危険な気がするのです。

それは、起業家として忙しく充実した日々を送ってきた人にとって、「何もしなくていい」といった状態は、最初こそ快適かもしれませんが、時間を経るにつれて苦痛になってしまうこともあるのではないかと思うからです。

ダグラス・マグレガーのXY理論

ところで、マサチューセッツ工科大学の教授だったダグラス・マグレガーさんが提唱した「XY理論」というものをご存知でしょうか。

マグレガーさんの著書である「企業の人間的側面」に登場するのですが、主に経営手法を考察する際に重要となる、仕事をする際の人間の性分や動機付けに関して「X理論」「Y理論」という2つの考え方から論ずるものであり、日本でも管理職研修や経営者研修などで触れられることが多いようです。

X理論とは、「人は本来、仕事をすることが嫌いな怠け者であり、お金を得るために仕方なく働いているだけで、そうでなければ仕事などしない」といった、性悪説に即した考え方です。

この理論に立った場合、経営者として大事なのは、指示・命令・管理・統制といったことや、報酬や懲罰(いわゆる「アメとムチ」)といったものになります。

対してY理論とは、「人は本来、仕事をすることが好きな生き物であり、自己実現のため自ら進んで仕事をするものである」といった、性善説に即した考え方です。

この場合、経営者としてポイントとなるキーワードとしては、尊重・自主性・モチベート・職場環境…などといったところでしょうか。

欧米を中心とする海外では圧倒的にX理論タイプの人間、及びそれに準じた経営手法が多いそうです。

では、日本ではいったいどうなのでしょうか。

私の接する起業家に関して言えば、圧倒的にY理論タイプが多いようです(従って、必然的にその経営手法も、Y理論スタイルになっているようです)。

果たして、起業家になるような人間だからY理論タイプなのか、それとも元々日本人にはY理論タイプが多いのか…。

その辺りの事実の程はともかくとして、強引に話を戻しますが、何故いきなり「XY理論」などといった話を持ち出したかと言えば、Y理論タイプである起業家が「何もしなくていい」という状態に達した場合、時間が経つにつれ、苦痛や虚脱感のほうが強くなってしまう(要するにいわゆる「燃え尽き症候群」と呼ばれる状況に陥ってしまう)のではないか…といった懸念が、私はどうしても拭えないということを、ことさら強調しておきたかったからです。

一攫千金を狙うことと、長くビジネスを続けていくこと

また、起業家として「何もせず楽をして暮らす」ということだけを目的にしてしまうと、それで頭がいっぱいになり、ややもすれば一攫千金ばかりを狙うようにもなりかねません。

それが100%悪いことであると否定するつもりは全くありませんが、一筋縄では行かないということは覚悟するべきでしょう。

その大変さ故、余程の強い意志がないと、リスクの高い、ブラックな選択に走ってしまうことだってあるかもしれません。

さらには、一攫千金を狙うことと、起業家として長くビジネスを続けていくこととは、明確に違うばかりか、場合によっては正反対のものにもなりかねないのです。

どんな将来を見据えて頑張ろうが、何を目指して努力しようが、どんな成功をイメージしようが、法にでも触れない限り基本的にはそれぞれの自由であると言えますが、そのことだけは頭に入れておいたほうが、起業家としては賢明なのではないかと、最近つくづく感じているのです。

タイトルとURLをコピーしました