イノベーションに必要なのは才能なのか

新しい商品やサービスの開発、新たなマーケットの開拓、ひいては業界や社会全体におけるシステムやスキームの革新など…。

起業家であれば、その程度の差こそあれ、こういったいわゆる「イノベーション」を巻き起こしたいという気概を持ち合わせている方が、少なくないのではないでしょうか。

中には、それ自体が起業する目的であり、まさにイノベーションの実現に向け日々奮闘しているといった方も多くいらっしゃるかもしれません。

一方で、イノベーションには特段関心を持たず、黙々と既存サービスの踏襲やその地道な継続に精を出す起業家が存在するのも現実です。

決してそれが悪いという訳ではありません。

そもそもそういった方が存在しなければ、この世の経済や社会のシステムは成り立ちません。

どちらが良くてどちらが悪いという問題では全くありません。

ただもし、そうする理由(イノベーションに関心を持たない理由)として、「自分には(イノベーションを生み出すような)才能がない」などと最初からそれを諦めてしまっている気持ちがあるならば、ここで今一度考えていただきたいのです。

ちょっとした脳の使い方の違い

果たして、イノベーションを起こすのに必要なものは、本当に才能なのでしょうか?

世の中には、ポンポンと新しい商品や革新的なサービスを思いつき、それを片っ端から実現してしまう人というのが確かに存在します。

まさに、イノベーションを起こし続けているような人です。

そういった人を見ていると、なるほど、持って生まれた才能が見事に開花しているように思えます。

逆に言うと、そういった才能がない凡人には、到底不可能な芸当であるとさえ考えてしまいます。

私も、そういった「才能」の存在を否定しません。

ただ決して、それだけではないと思っています。

語弊を恐れずに言えば、そういった人たちには、ちょっとした脳の使い方の違いと、たゆまぬ努力が伴っているだけなのです。

言い換えれば、常日頃から世の中のあらゆる事象にアンテナを張り、並々ならぬ好奇心を持ってそれらに足を踏み入れることで、イノベーションを生み出すのに適した脳の部分がどんどん磨かれているだけなのです。

あのキングカズも…

話は少々飛びますが、日本のサッカー界にイノベーションを巻き起こし、野球などと並ぶ有数のメジャースポーツに押し上げた立役者と言えば、どなたが思い浮かぶでしょうか?

人によって諸説あるかもしれませんが、多くの人がキングカズこと三浦知良さんをその一人に挙げるのは、間違いのないことでしょう。

2023年現在、56歳にして未だ現役を続け、ストイックかつ真摯にサッカーに取り組むその姿は、多くの人々にとてつもない影響を与え続けています。

その具体的な経歴についてはここに詳しく記すものではありませんが、日本を1998年のワールドカップ初出場に導きながら、本番直前で代表から漏れたことなど、決して華やかなだけではない内容も含めて、すべての経歴やその言動がレジェンドと呼ばれる所以であり、その存在感たるや未だに全く衰えるところを知りません。

さて、その三浦さんですが、数々の大舞台でゴールを量産してきたその実績のみならず、ファッションリーダーとしても崇められたそのカリスマ性や先進性、ゴール後の独特なカズダンスといったパフォーマンスの派手さなどから、さぞかし昔からあらゆる注目を集め、小さい頃から第一線で活躍してきたのではないか、いわば持って生まれた才能の塊なのではないかと思われがちですが、実は全く違うそうです。

小さい頃は、身長が高い訳でもなく、取り立てて他の選手より突出したものが見られる訳でもなく、当然、その世代の日本代表(当時は全日本という呼称が一般的でしたが)に呼ばれるようなレベルの選手でもなかったそうです。

今や日本でも、若くして海外チームにスカウトされたり、将来有望として世界中から注目を集めたりする選手が少なくありませんが、三浦さん自身は、そういったいわゆる「エリート」では決してなかったのです。

中学校の進路指導時、進学高校の第一希望に「ブラジル」と書いて先生に叱られたというのは有名な話ですが、その後、静岡学園高校に進学しつつもわずか8ヶ月で中退し、実際にブラジル行きを決意した際、その時の指導者は(ブラジルへ行ってプロになることなど)「99%無理」と考え、本人にもそう忠告していたというのです。

それでも本人は「1%あるなら、それを信じる」と平然と言いのけて、日本を離れます。そして数年後、「99%無理」と言われた男が、世界屈指のサッカー王国・ブラジルにおいて実際にプロになってしまったのですから、その苦労と努力たるや、我々の想像の域を遥かに超えたものであったでしょう。

プロになってからも、三浦さんのそのサッカーに対するストイックなまでの取り組みは、度々メディアでも取り上げられてきましたので、ご存知の方も多いと思います。

誰よりも早くグラウンドに登場し、ランニングなどでは自ら先陣を切ってみんなを鼓舞し、そして誰よりも遅くまで残って練習を続ける。

食事一つ、睡眠一つとっても、すべてはサッカーのため。

サッカーのためなら、どんな努力も厭わず、何でもやるというその姿勢。

要するに、三浦さんが日本のサッカー界にイノベーションを巻き起こすまでに成長したのは、決して才能などではなく、サッカーに対する激しい情熱と、想像を絶した並々ならぬ努力の賜物だったのです。

ビジネスの世界ならなおさら…

さて、キングカズこと三浦知良さんを例に取り上げましたが、ある程度決められたルールや仕組み、業界における世界的な体系といったものが確立され、その中で勝負しなければならないというサッカーの世界でもこういったことがある訳ですから、いわんやその成功への道のりに特に決まりきったシステムや体系がある訳でもなく、どれが正解なのかは誰にも分からないというビジネスの世界では、情熱や努力が才能を凌駕するといったことが、往々にして起こり得ることであると言わざるを得ません。

要するに、ビジネスの世界でイノベーションを起こすのは、才能ではありません

情熱と努力次第で、誰でも可能なことなのです。

特に、昨日の不正解が今日の大正解になるような激動の世の中である昨今、毎日のように新しいビジネスが産声を上げていると言っても過言ではない状況においては、誰しもが明日のイノベーターになる可能性を持っているのです。

そしてその可能性が、現在ほど高まっている時代は、そうそうないかもしれません。

根強い日本人の思い込み

上で結論として記述した、ビジネスの世界でイノベーションを起こすのに必要なのは、才能ではないということ。

そして、情熱と努力次第で、誰でもイノベーションを起こすことが出来るということ。

つまりは、誰しもが明日のイノベーターになる可能性を持っているということ。

これは、別に目新しい見解でも、斬新な意見でも、何でもありません。

実は、昔からことあるごとに言われてきたことです。

それにも拘わらず、未だに日本人の間には、「イノベーションを起こすには才能が必要」「イノベーションは天才が生み出すもの」といった思い込みが根強く残っています。

それ故、当ページの冒頭でも触れた通り、「自分にはイノベーションを生み出すような才能がない」などと最初から諦めてしまい、そもそもイノベーションに関心すら持っていない人が多いのです。

そして寂しいことに、それは積極的にイノベーションを起こすべき、起業家であっても同じことなのです。

それもみな、イノベーションというものが遠い存在であり、自分には縁がないものと決めつけてしまっているが故の事態なのです。

ゼロからでなくても構わない

イノベーションを起こすために必要なのは、これも上述した通り、ちょっとした脳の使い方と、たゆまぬ努力だけです。

さらに言えば、何もゼロから新しいものを生み出そうなどと考えなくたっていいのです。

イノベーションには、ある種の限られたパターンのようなものがあり、それは非常にシンプルであると言われています。

分かりやすく言ってしまえば、既存のものの工夫や組み合わせなどで、いくらでもイノベーションなど起こすことが出来るという訳です。

今、既にあるものにちょっとした機能を追加してみたり、あるいは逆に余計なものを削ぎ落としてシンプルにしてみたり、はたまた全く別のものと一緒にしてみたり…。

そう考えると、確かにパターンは限られてくる気がしますよね。

そして、これまで生まれてきたイノベーション、すなわち、世の中にある便利な商品やサービスは、実はそのパターンのどれかに当てはまることが多いという事実に気が付くはずです。

日本にはイノベーションが必要であると言われるようになってから久しいですが、頓にそんな機運が高まっている昨今こそ、そういったシンプルな思考で、決して「自分など…」と諦めず、起業家として鋭意イノベーションに挑んでみてはいかがでしょうか。

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