「謙虚である」ことの意味を考える

私は常々、起業家が謙虚であることの必要性を説いています。

当サイトでも様々なページでそれに触れています。以下はその一例です。

※参考
→「起業するほうが偉いという訳じゃない
→「現場へのリスペクトを忘れるな
→「成功のためなら何でも信じて採り入れる

私は、謙虚であることが、起業家として最も重要な要素であるとすら考えています。

ただ、起業家が謙虚であることと、単に自信がないだけだったり、自虐的だったりすることは、全く違うのです。

力不足を公に認めてはいけない

起業家は、「出来ない」とは絶対に口にしないという話があります。

それ故、起業家に対して、「何事に対してもハッタリ含みで出来るような顔をする」といったイメージをお持ちの方も多いです。

自信過剰のいけ好かない奴、という訳です。

しかしながら、私の知る限り、成功している起業家でも(あるいはむしろ成功している起業家のほうが)、出来ないことをハッキリと「出来ない」と仰る方は多いのです。

※参考
→「成功者は「出来ない」とは言わない?

ただ、その「出来ない」が、自分の力不足による「出来ない」ではないということです。

無理な要求を無責任に引き受けたり、自らのポリシーに反することをやらなくてはならなかったり、そういったことは絶対にしないという、毅然とした態度から生まれる「出来ない」なのです。

もちろん、社交辞令として口にすることはあるかもしれませんが、本当の意味で「私には能力的に難しいです」「私では力不足で出来ません」などとは、絶対に口にしないのが普通です。

そして、そういう内容を口にすることと、「謙虚である」ということを、混同してしまっている方があまりにも多いように感じます。

降参すれば顧客は逃げていくだけ

成功している起業家は、一見自分にとって難易度の高そうな案件や問題を目の前にした時、すぐに「出来ない」とは口にせず、自らの知識や経験とどうにか結び付けられないかをまず必死に考えます。

それは、自らの力不足を認めて降参したところで、目の前の案件や問題が消えてなくなることはないからです。

そこに顧客が絡んでいれば、そうすることで単に顧客からの信頼を失墜するだけだということを、よく知っているからです。

ビジネスにおいては、時に人間は非情なくらいにドライになります。

あなたが一旦、自らの力不足を認めれば、そこにどんな言い訳を絡めようとも、顧客は次から別の人間に頼むようになるだけです。

それまで、その顧客とどんなに強固な関係を築いていたところで、崩れるのは一瞬なのです。

価値を高める努力と意識

成功している起業家は、周りの人間に対してどんな時でも誠意を持って接することで、信頼を蓄積することに尽力します。

そして、どんなに困難な案件や問題であっても、成功に向けたチャンスと捉え、何としてもそれを掴み取ろうと努力します。

自分を卑下し、力不足を認めることで、みすみすをそれを逃してしまうようなことは、決してしないのです。

それは、自らの価値を高めるまたとないチャンスでもあるからです。

これが、起業家が「謙虚である」ということの本当の意味なのではないでしょうか。

力不足を言い訳にしている暇があったら、自らの力を向上させる努力をするべきです。

成功するためには、自分の価値を高めるたゆまぬ努力と、それを認める高い意識が必要なのです。

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